ホツレ日記

映画 古長屋 銭湯暮らし

築100年 風呂ナシ長屋に住んで

京都に住むと聞くと、府外の人にはどのように聞こえるだろう。10年前の私には、とても魅力的に聞こえました。京都に住むとどんな生活が待っているのだろう。とてもワクワクした覚えがあります。でも、どんなに憧れた場所に引っ越しても、長く住んでいると新鮮さがなくなってしまいます。お寺などの観光名所が近くに幾つもあることも特に気にしなくなります。いつでも行ける、というところは、結局行かないのです。京都に住んでいながら、観光地には殆ど行っていません。もったいない。あのワクワクはどこへ行ったのか。良くも悪くも慣れる生き物なのだからそれはしかたないと思います。住む場所を変えることで、自分自身も変われるかといえばきっとそれは言い過ぎで、キッカケを得る以上の効果は無いのではないか。最近そう思うことが多い。まぁ考えてみるまでもなく、人生の結果っていうのは自分次第なのだから当たり前な話ではありますが、そうやって何かキッカケを貰って考える機会がないと、当たり前なことを忘れてしまうのが私なのです。

 

私は京都に越してきてから、住む場所が4回変わりました。長屋だったりマンションだったり。2014年の始めまではごくごく一般的な、みんなと同じような普通の間取りの部屋で生活していたのですが、ひょんなことからお風呂のない部屋で生活することになりました。普通住む場所っていうのは年を経るごとに環境を良くしていくものだと思うのですが、私は何を血迷ったのか、住む場所は引越を繰り返すたびにだんだんとおかしな方向に向かっていきました。10年足らずの賃貸生活で、そんな部屋に住むのも飽きてしまった私は、2014年の夏に中古の家を買うことにしました。そして、購入したのがタイトル通りの築100年、風呂無しの長屋です。

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京都の築100年の家と聞いて、歴史ある町家を想像されるかも知れませんが、そんな立派な建物とは程遠いものです。アレです。子どもの時につくるような秘密基地をちょっと立派にしたような程度のものです。トトロやおおかみこどもの雨と雪に出てくるようなものでもなく、道路から路地を通って・・・。ここで言う路地も想像されているような石畳とかそんな立派なものではありません。知人に説明するときもこれで誤解されないようかなりの数のエクスキューズをつけます。そんな家を買ってどうするの?と、年上の方からはよく言われます。同世代の人からは、楽しそうとか補修するのを手伝いたいという声をよく聞きます。その辺については、旧ブログに補修活動の始まりから記載があるのでここではカットし、書くのが遅くなりましたが今後もブログはこのはてなブログに移動します。

 

1年間そのボロボロの秘密基地に住んで、お風呂もない暮らしはどうなのか。結論から言うと、そんなに不便ではありません。これも慣れかもしれません。京都は銭湯がたくさんあるので、お風呂がなくても何とかなります。庵野監督のようにあまりお風呂に入らないような生活はさすがにできませんが、お風呂がなくても毎日お風呂にはいることが可能なのです。寒い冬はちょっと遠出をするのが億劫ですが。ないのはお風呂だけでなく、キッチンもあると言うには憚られる程度にしかありません。なので、外食が増えてしまいました。出費はかさむけれども、そのおかげで知り合いも増え、私の趣味もふえました。旧ブログで映画に関する記事が増えたのは、その影響でもあります。今後もきっとそういうカタチでブログを続けていけたらと思います。

 

ブログの場所を変えることにしたので、ざっくりと1年間を振り返ってみました。それにしてはちょっと端折り過ぎというか、私自身自覚している悪いクセなのですが、自分でわかっていることって脳内にビジョンが浮かんで、それはもうみんな共有済みだと勝手に解釈しちゃって説明が飛びます。話すのが苦手なことも相まって、それはそれはひどいことに。文章では出来る限りわかりやすく説明をと思っていますが、果たして全て通じているのかどうか。ちなみに映画は説明し過ぎないものが好みです。