ホツレ日記

映画 古長屋 銭湯暮らし

ヘブンズストーリー

観てきました。「ヘヴンズストーリー」最後まで見るのは大変でした。上映時間が278分です。お昼に見始めたら日が暮れ始めるくらいの長さです。しかし、私が観たのはオールナイトなので、映画館に行ったときも途中休憩で外に出た時も、ヘヴンズストーリーが終わって外の空気を吸うために外に出た時もずっと暗いままでした。みなみ会館でのオールナイトは今回が2回目です。1回目は、高橋ヨシキさんと中原昌也さんのトークショーやグリーンインフェルノを上映しているときです。そのときは、座席が満員で空席がなかったのを思い出します。今回は友人と行ったのですが、割と座席に余裕があってゆったりとみることができました。

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子供の頃を見つめると

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20代の私の時間はもう残りわずか。あんまり焦りとかそういうのはなく、ようやくかといった感じです。去年より映画を見ようと考えていたのですが、生活環境が変わったせいもあり、シンゴジラ以降映画館で映画を見れていません。「君の名は。」まだ上映されていますが、まだ見ていません。天邪鬼な性格だからか、あまり周りが盛り上がっていると逆に見る気が失せてしまいます。(シンゴジラは例外)インタビューをyoutubeで聞いているあたり、「君の名は。」に興味有なのは見え見えですが。

 

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サラリーマンからフリーランス(仮)へ

タイトル通り、11月よりサラリーマンからフリーランス(仮)になりました。かっこ付きなのは依然、前の職場とのつながりがあり仕事をいただいたりするので、完全なフリーというよりは、まだ在宅勤務になった程度だからです。仕事内容も特にあまり変わりがありません。しかし、サラリーマンの時より考えることができる時間があるのはとてもありがたいことです。ここでいう考えるというのは仕事の内容についてということではなく、あくまで趣味的な思考というところでしょうっか。考えて思いを巡らせて、こうして文章に書く時間が以前はあまりありませんでした。いや、全くなかったわけではないのですが仕事の忙しさとかに理由を付けてサボっていただけのようにも思います。

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京都三大奇祭のひとつ

京都の三大奇祭って知っていますか?京都の三大祭、特に祇園祭は有名で、私が京都に初めてきたときに教えてもらったのも祇園祭でした。それとは別に、三大奇祭があり、その1つである鞍馬の火祭に行ってきました。私は火祭にはお客さんとしてではなく、友人に誘われてボランティアとして参加しました。初鞍馬、初火祭りです。ちなみに、この火祭りの日は三大祭の1つである時代祭も行われています。

 

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得た分何かを失うのではなく、失っても何かを得る 春

すでに季節は春の雰囲気が漂い始めましたが、我が家では外と同様夜は冷えます。
昨年の冬に石油ストーブを購入してからまだマシにはなりましたが、まだまだストーブが活躍する時期は長そうです。寒さで起きるようなことってないと思っていたのですが、今日は4時半に目が冷めました。断熱が全然ない部屋でも、ストーブは空気を十分に暖めてくれます。部屋が暖かくなると外へ出るのが億劫になってしまい、しばらく手が休んでしまっていたのですが、ようやく今年の自宅補修活動が開始できそうです。

 

まず手始めに、床下の通気をある程度止めようと考えています。床下は風が通れるようになっているので、畳が敷いてあったときからすでに足元の寒さを感じていました。床下を部屋ごとに区切るのに、どうしたら良いかと前々から考えながら早半年といったところでしょうか。もっと深く考えて案を出していけば、意外と早く進められたのではと今となっては思うのですが、生活しながらの補修作業というのは、なかなか進まないもので。普段の生活の中でも家事等やることがたくさんあり、しかしそれ以上にやりたいことを優先してしまう私としては、半ば工事中の自宅に順応してしまう方が簡単だったようです。

 

そんな中で、手を動かし始めようと思ったのは何故でしょう。正直なところ自分でもわからないのですが、やりたいことを一通りやったからか、補修についていい考えが浮かんだからか、寒さがある程度峠を超えたので活力が出てきたのか、日本人的に3月が終わり、4月が始まりということで気分が高揚してきたのか。真相は自分ですら定かではありません。

 

そういえば、日本人は口下手だったりして想いや何かを伝えるときに行事やイベントを利用するというようなことを何処かで聞いたことがあります。

 

それとはちょっと違うのですが、新しく物事を始めたり気持ちを入れ替えるときには、ある程度の環境の変化は必要かも知れません。桜の季節に物事が終わりと始まりを迎えるのは子供の頃から幾度と無く経験してきているので、無意識にそう感じているのかもしれません。

 

入学と卒業のように何かが始まるということの裏には、何かが終わるということも同時に起こっています。別れとかそういったものも、この時期には多く、よく通っていた喫茶店が月末に閉店予定だったり、ご近所の方が引っ越してしまったり、仕事関係でも別の部署へ移動してしまう方も幾人かいたりします。それらはツラいことではあるのですが、何か新しいこともはじまるよね?と自身に言い聞かせ、ポジティブに捉えるようにしています。

 

そう考えられるようになったのはここ最近観た映画の影響が強いのかもしれません。
桐島、部活やめるってよ」や「ボーイズ・オン・ザ・ラン」、好きな映画の1つ「おおかみこどもの雨と雪」統一性はナイのですが、映画の中の彼ら彼女らが映画が終わった後、何を思いどのように生きていくのか、私はいつも思いを馳せるのです。「おおかみこども~」に至っては、自宅を修繕するシーンもあり、余計に親近感がわきます。
「桐島~」はちょっと違いますが、映画の最後に皆様々な別れをして映画が終わります。「もののけ姫」もそうですね。違うかな・・・

 

元来作品には影響されやすかった私は、映画のセリフを事あるごとに口にしたりしていました。シャーロック・ホームズは特に顕著でした。映画もドラマも。「sorry,what?」はよく口にします。

 

映画のメッセージや思考までを実生活に取り入れるキッカケになったのは、いろいろな映画評論家の方の評論を読んだり聞いたりしてからです。それらの評論家の方達を知る事ができたのは近くの喫茶店に通い始めてからです。

 

そこでは映画についていろいろなことを話しました。映画の観方やどんな面白い映画が上映されているか、アレは観た?コレは観てない、この監督は他にもこんな作品を撮っている、この映画についてこの評論家はこう語っている、僕は、私はこう思う。

 

映画を観始めるようになって、映画でこんなに話ができ、とても楽しい時間を過ごせたのですが、今月末でそのお店も閉店してしまうこととなり、私はとても悲しいのです。

 

それでも、そこで知った映画の楽しみ方は忘れません。これからも映画を観続けるのが、いつかあった場所を忘れないための私に必要な行為のように思います。

ブラックス・キャンダルを観て

そして誰もいなくなった

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スコット・クーパー監督のブラックスキャンダルを先週観てきました。出演者にジョニー・デップやカンバーバッチ等の名前があるので、それで観に行った人もいるのではないかと思います。実際私が行った映画館では、若い人やカップルも結構いました。とはいっても、上映から1週間程は経っていたので、前評判くらいは出回っていたでしょう。観客は20人程度でガラガラでした。重々しい雰囲気の映画で、エンドクレジットが流れ終わった後に席を出ようと振り返ると、私一人しかいなかった時の気持ちは何ともいえません。


原題は「Black mass」で、黒ミサや黒い集まり、かたまりという意味になります。悪魔崇拝の黒ミサで、悪魔的な存在といえばジョニー・デップ演じるジミーでしょう。彼を崇拝しているのは、ジョエル・エドガードン演じるFBIのジョンです。イタリアンマフィアの情報をジミーからもらう代わりに、FBIはジミーを逮捕しません。ジミーも殺しはしないと約束するのですが・・・。ジミーの弟、カンバーバッチ演じる上院議員のビリーは、兄弟という以外はジミーとジョンとの関わりは殆どありませんでした。


何故ここでちょっとガッカリするというか、思っていたのと違うと感じるのかといえば、日本のポスターを見た時の印象と映画の内容に乖離があるせいだと思います。登場人物がわかりやすくて良いのですが。

ジミー、ジョン、ビリーの3人が大きく出ていてブラックス・キャンダルと書かれていたら、3人の黒い関係が・・・と想像してしまうのですが、実際映画の内容はそうでは無いのです。兄ジミーの犯罪を黙認している時点で同義ということかもしれませんが、ちょっと腑に落ちません。

 

 

この映画、1回しか見ていないので、ちょっと記憶は曖昧ですが1つ気になったことがあります。それは電話の音です。

ジョンのいるFBIの中では電話のベル音が鳴り響いていました。誰か取らないのかっていうくらいに。俗にいう黒電話のあのキンキンする鋭い音がFBIのどのシーンでも鳴っていた印象です。1970-80年代初めのことなので、時代的なものかなと思っていました。

 

主人公のジミーはとても怖い人で、人を全然信用しません。自分を裏切った者には容赦なく制裁を加え、仲間であっても躊躇はありません。些細な秘密をバラしたことで、ジミーの犯罪行為もバラすのではないかと言い詰められ、落ち着いて食事も取れないシーンもありました。冗談だとジミーは笑うのですが、詰められた方は笑えません。顔にも悲壮感が漂っていました。

 


そんなジミーが、社会から身を隠そうとする前に弟ビリーに電話をかけるシーンがあります。そこで鳴る電話の音は、FBIで鳴っていた鋭いベル音ではなく、ちょっとこもったような耳に優しい電子音でした。ジミーは電話で弟に優しい言葉をかけます。体には気を付けろと。兄として、人として当たり前かもしれませんが、弟を初め、肉親にはとても優しいのです。

 

 

とはいっても主人公ジミーは犯罪者なので、一般市民側から観たハッピーエンドはジミーが捕まることであって、ジミー的に観ればバッドエンド的な終わり方を迎えます。観終わった後に胸に残るのは、黒いモヤモヤとしたかたまりでした。これが悪魔崇拝の儀式を観た人の中に宿るものなのかもしれません。

築100年 風呂ナシ長屋に住んで

京都に住むと聞くと、府外の人にはどのように聞こえるだろう。10年前の私には、とても魅力的に聞こえました。京都に住むとどんな生活が待っているのだろう。とてもワクワクした覚えがあります。でも、どんなに憧れた場所に引っ越しても、長く住んでいると新鮮さがなくなってしまいます。お寺などの観光名所が近くに幾つもあることも特に気にしなくなります。いつでも行ける、というところは、結局行かないのです。京都に住んでいながら、観光地には殆ど行っていません。もったいない。あのワクワクはどこへ行ったのか。良くも悪くも慣れる生き物なのだからそれはしかたないと思います。住む場所を変えることで、自分自身も変われるかといえばきっとそれは言い過ぎで、キッカケを得る以上の効果は無いのではないか。最近そう思うことが多い。まぁ考えてみるまでもなく、人生の結果っていうのは自分次第なのだから当たり前な話ではありますが、そうやって何かキッカケを貰って考える機会がないと、当たり前なことを忘れてしまうのが私なのです。

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